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プロフィール of 五十嵐 桂一

平成29年5月1日現在のプロフィールです

五十嵐 桂一 プロフィール
 現在54歳 妻と大学生、高校生の女の子の父親です。昭和38年1月10日 札幌市西区手稲(当時)にて出生。昭和41年、千歳市清水町1丁目(現在も同じ)に引っ越しました。千歳小学校、千歳中学校、札幌月寒高校を卒業後、東海大学進学のため神奈川県座間市(駅は小田急相模原)で一人暮らしをスタート。専攻は工学部の航空宇宙学科。小さい頃から千歳空港を飛び交う飛行機を見続け、幼い頃アポロが月に行った映像を脳裏に強烈に焼き付けられている世代です。火星まで行き帰ってくるロケットの3次元軌道解析(最近話題になった「はやぶさ」みたいな人工衛星)が卒論テーマでした。
 大学在学中は「落語研究部」に所属。夏休みと春休みは国鉄(当時)の周遊券を利用して全国の老人ホームを慰問しました。20歳の時、学園祭で同級生とたまたま演じた漫才がテレビ朝日のプロデューサーに認められ「テレビ演芸」(日曜15時放送、テレビ朝日系)に出演、横山やすし師匠、大島渚監督、糸井重里さんらに鍛えられました。このページ下のYouTubeに当時の映像が有ります、ご興味の有る方は約30年前の演芸をお楽しみ下さい、No.1からNo.3は勝ち抜き戦でNo.4はチャンピオン大会です。最後はプロデューサーから太田プロか吉本興行か選びなさい、そうすれば深夜のレギュラー番組を用意すると勧められましたが、大学中退が芸人になる条件だったので相方とキッパリ断り「放送作家」の道を進みました。もし、タレントになっていたら今頃どうなっていた事でしょう? その後すぐに将来の職業として「放送作家」を目指し大学に通いながらNHKで仕事(お好み演芸会 日曜の昼に放送)を始めました。しばらくしてテレビ朝日、ニッポン放送、TBS等からお仕事をいただき、フリーの放送作家として東京で仕事をしておりましたが、父の病気に伴い25歳から千歳と東京を毎週往復しながら両方で仕事をしていました(休みは全く無し)。
 26歳から千歳の仕事に集中してホテルリネン業を主な生業として仕事をしてきました。平成20年9月に障がい者就労支援継続事業所メビウスを立ち上げ、障がい者の職場の確保と地域に密着した生活を築く為に日夜励んでおります。
 平成23年4月から北海道大学・公共政策大学院に入学。修士課程を4年間かけて学ぶ事にしました。1年目は主に公共政策の基礎について学び、2年目は日本の近代政治史、立法に関する手続き、3年目の今は都市政策を中心に北海道に特化した講義も選択しています。最終年は卒業論文(リサーチペーパー)を書きテーマは道央圏に公共投資を集中させる事で北海道の持続可能性を高め「稼ぐ力」の最大化を図る内容です。「新千歳空港」「道央圏連絡道路(高規格道路)」「北極海航路」などについて考察しました。
 北海道に戻って来てからは、大好きな趣味だった「落語」「演劇」をあまり見る事が出来なくなりましたが、新たに始めたゴルフにすっかりハマりました。ノープランで行く海外旅行も大好きです。また、いつか千歳に映画館を、と思っていましたが自宅のDVDシアターが精一杯です(空港には「そらシネマ」も出来ました)。車の趣味もしばし休憩中、いつか生まれ年と同じ1963年の2シーターを綺麗にレストアするのが夢です(サーキットの狼世代)。
 2009年、初挑戦となった市議会議員選挙では皆様のお陰を持ちまして無事当選する事が出来ました。街頭演説デビューを衆議院議員の町村先生、山口幸太郎市長に一緒にさせていただき感動しました。当選後は議会ルールに少々戸惑い、特にTwitterを始めた頃は各方面からお叱りを受けました。4年間連続して産業建設常任委員会に所属、後半の2年は議会運営委員会にも所属して議会改革(4年前の公約)にも熱心に取り組めました。2013年選挙は無投票という市民にとっても僕自身にとっても残念な結果でした。またもや4年間通して同じ常任委員会、今度は厚生環境常任委員会に所属。前半の2年間は議会運営委員会の長を努め、取組んできた議会改革で「出欠・賛否の公表」「領収書の公開」無投票選挙の総括など出来る限りの仕事に取組めた自信が有ります。
 今までにいないタイプの市会議員を目指して29年5月には3期目挑戦をします!引き続き応援お願いします!